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50歳からの第二の人生

三日月と善光寺

連休最後の日、長野の善光寺のライトアップを見にでかけてきました。ライトアップは午後6時からです。
開始まであと30分の善光寺が、雲のない夕暮れの中、月も味方してくれて、息をのむ美しい光景でした。


影絵のような善光寺と、夕暮れ色の空とのバランスが絶妙で、この瞬間はこの時だから体験できたんだと思うと、一瞬一瞬がとても、いとおしく感じてきます。
夕暮れは、1日として同じものはないのだな、とこの世のものはすべて移りゆくという「諸行無常」を感じざるを得ません。けれど、美しいと感じる心はいつだって持っていたいものです。


感動しながらも、お参りを済ませて、おみくじを引き、善行寺前善行寺前でiphoneを待ち構えて待ちました。


6時ちょうどに、ふわっとライトが輝いて、澄んだ空気の中、善行寺が美しく浮かび上がりました。ゆっくりゆっくりと、色が変わっていく様は美しいけれど、あまりの寒さに、じっとしていられなくなり、仲見世を散歩しながら、振り返っては善光寺を眺めました。




それから、ちょっと小道に入って、毘沙門天ののぼりが目に入ったので行ってみることにしました。そこには、横になった釈迦像がいらっしゃいました。(日本で唯一の等身大「銅造釈迦涅槃像」で重要文化財でした。)
七福神巡りもしてみたかったのですが、時間もないのでそれは今度ということにして。


振る舞い酒を頂いたり。
長野の駅ビルのお土産屋さんでは売り切れだった生アップルパイもお土産に購入しました。
思いっきり、楽しく善行寺のプチ旅行を堪能しました。



そんな中、振り返ると、ずっと月がついてきます。



善行寺の美しさにもまして、月に心を奪われてしまい、私は空ばかり見てしまいます。
この日の月は、三日月で、丸い輪郭がくっきりと見えていました。(地球照というみたいです。)


ずっとこの場所で、月をみていたかったけれど、そういうわけにはいきません。それがわかっているからこそ、美しさは増していくのかもしれないです。


今のさまをそのまま覚えておきたくて、目を閉じて心に焼き付けました。


美しさに目を奪われる瞬間は、まさに今を生きていることを感じる瞬間で、このタイミングで同じ月を同じように見上げている人がいるのかなと思うと、心がふわっと温かくなる感じがして、なんだか嬉しくなりました。
そして、時を超えて、武田信玄や上杉謙信も空を見上げて、今を感じていたかもしれないと
思うと、変わらないものもあるのかもしれないなと思いました。


「遠くとも一度は参れ善光寺」納得の一文です。一度と言わず、何度でも足を運びたいです。