rieco hygge & yoga & climbing

50歳からの第二の人生

背骨と自然


今、ヴィヤガラーサナというアサナに限定した講座の真っ最中。この講座は、計400時間の学びを終えた人だけが受講できることのできる講座となっている。とても人気の講座。


背骨は33個の脊椎から構成されていて、その一つ一つに気づきをもつための講座となっている。そんなことできるのかいと思いながらも、練習に取り組んでいる。


どの関節もすべて背骨を中心に連なっているわけで、その軸が正しい位置になければ、当然のように他の関節に負荷がかかる。


理屈はわかる。


背骨に特化した練習は、私にとってはとても辛い。気持ちが悪くなることが多い。


それを先生に伝えたところ、体に不要なものをため込みすぎているそうな。
もちろん、無意識レベルの話なわけで、目に見えるわけでもなく、そういわれたらそうかもしれない。


けれど、最近感じるのは、そういわれたらそうかもしれないけど、正解はわからないってこと。


美しい大自然の中に自分を置いたとき、とてもすっきりした感覚がある。それが瞑想をしている感覚にとても似ている。



そのときは確実に今を瞬間を生きている。「痛み」や「せつなさ」があったとしても、そこらへんもまるっと一つに感じる。いい悪いじゃない。


美しい風景を見て、清らかな空気をたくさん吸い込んで、柔らかい風に吹かれていると、まあいいかという気分になる。目をしっかりと開けているのに、余計なことが入ってこないってすごいなって思った。


そんな気持ちにさせてくれた場所にありがとうを送りたい。


かといって、ヨガの教えは素晴らしいものだし、これから先ずっと続けていく。


ヨガを始めて7年。今の古典ヨガを初めて4年。
52歳という年齢にしては、体力筋力ともにまあまあだと思う。


それは(ほぼ)毎日継続して朝ヨガを行っているからだと確信している。


ヨガを愛する気持ちは、深い。そして、ヨガはとても深く、生涯の学びが必要なものだと思っている。人生の縮図。


目標は続けること。
ティーチャートレーニングを3回も受けた。ただ、真実を知りたいから、受けてきた。


一緒に朝ヨガをやっている仲間に75歳の大人の女性がいる。私も続けていきたいなと強く思う。
だからこそ、余白が大切だと感じる。ピンと張りすぎると、ポキっと折れちゃうからね。


二度目の八方尾根

山に惹かれることはないだろうなと、ずっと思っていた。
10月8日に、八方池まで行ってきた。数年前の夏にも行った記憶は新しい。そのときは少し雲が多い日で、遠くの山々を見ることはできなかった。
暑い日で、汗をかかない私でも汗がたくさんでたのを覚えている。池の周りで、コーヒーを入れたりしている人を眺めながら、楽しそうだなと感じなくもなかったけど。


あれから二年半くらいして、またそこに行くことにした。


パートナーが登山をしているのもあり、たくさんの写真たちを眺めていると、肉眼で見てみたい気持ちがでてきた。
そして、変わっていくその人を見ていると、興味が湧いてきたのもある。


駐車場に行くまでの道中の白馬三山を見上げて、雪山にドキっとした。


そうして、八方池までたどり着いて、紅葉と雪山を同時にみた。眺めながら、あー、この先に行ってみたいなと感じた。
雪がなければ、その先の唐松岳に行ってみたかった。けれど、準備がない。


こうやって、山に引き込まれていくのかなと。


帰ってきてからは、登山とか山とか、気になってググってばかりいる。


もう52歳。されど人生で今が一番若い。だから、残りの人生を何に使うかは、自分次第。


ライチョウも見てみたい。